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ヘリの飛ばない年

突然、ヒマ人になった。

ある年、過労でたおれた。それこそ24時間体制で働いていた。寝てはいたがクリエイティブな仕事。 夢の中でも仕事をしていた。死ななかっただけでもめっけものだった。


2度と働くことのできない体になった。もう、山は無理だと思った。車の運転も禁止された。
1年近くベッドの上で過ごした。寝るしかないので、このときはじめて今まで持ったことがなかった テレビを買った。いや、買いにいってもらった。

テレビのニュースで、塔ノ岳を報じていた。塔ノ岳といえば、初心者の通過点みたいな山で面白みの ない山の代表みたいなものだ。僕は10回弱くらい登頂していて、正直いって塔はもういいや、と思っ ていた。

いつ山へいけるようになるのかわからないような状況で毎日を過ごしていて、その中継を見たときに、 過去の登頂経験を思い出して、そして思ったのは「塔ノ岳へ行きたい」ということ。たいした面白み はなくても、山はやっぱり山でした。
そして、それは山へいけなくなってはじめてわかる。山を選り好みして、あの山はつまんないなどと 言い出すのは贅沢なんだと。

塔ノ岳にいきたい。
そしていつか、はっきりといきたい山を挙げられることは、幸せなのだと気づくのです。


幸い、サポートしてくれる人がいて、塔へは早い時期に登ることができた。その後運転禁止が解か れるのも早く、病名からすれば奇跡的な回復をしたといっていい。1年を過ぎる頃には普通に山登 りができるようになった。しかし、病気が治ったわけではない。いつ、また寝るだけの生活に戻る かもしれず、もう永久に戻ってくることはできないかもしれない。あせって、焦って山へ行った。

次は、甲武信岳だった。



何年かたって、山熱も落ち着いた頃のゴールデンウィークに、甲武信岳へ向かった。病気をしてか ら何度かすでに登っていた。すっかりお馴染みさんになっていた。

この年は少し様子が変だったのである。
小屋につくなり「おーいわっきー、今年はヘリが飛ばないからちょっと手伝ってけ」と言われた。 ヘリが飛ばないということは荷物があがってこないということである。当たり前であるが、荷物が あがってこないからといって営業しないわけにいかない。人力で背負わなければいけないのである。
しかし、小屋は2人で回している。1人歩荷に出ればあとは1人。小屋番だけでは十分な量の歩荷 はできない。
基本的に仕事のできないヒマ人であることを生かして、1泊の予定だったのが、GW中いることに なった。僕は体が華奢にできているので、1度に25キロ〜30キロ位を目安にして背負った。そ れでも米なんかを入れるとずっしりだった。僕のザックはずいぶんと不思議な物体を入れたものだ が、このときはホントいろんなものを入れた。

1人では埒があかないので、持っていた薬が切れたのを機に下山して、管理しているメーリングリ ストに声をかけてみた。大々的に声をかけてみたわけではないのですが、それでも何人か背負って くれたようだった。

そういうのがね、僕チャンスだと思うんですよ。このとき背負ってくれた人が、今小屋でどういう 待遇なのか、まあ、あんまり思索をめぐらさなくてもわかるわけで。

結局、これが僕と甲武信小屋とが、常連以上のつながりになるきっかけだった。

僕は本名は「甲武信小屋」から2文字名前にもらっている。いや、名前をつけるときはまったく甲 武信小屋とは関係なかったのだが、もう、はじめから甲武信小屋とはつながる運命だったのかもし れない。

(2015.5.7 12:3)(by script)




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