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剣菱の一升瓶

僕は縁があって、小屋明けのときに小屋に入らせてもらっている。山小屋バイ ト(僕のはバイトではないが)というとなんか登山者のあこがれみたいなイメー ジがあるが、実際には下界から隔離されて、一夏(僕の場合はGWだけだが) 行きたい山へもいけず、食べたいものも食べられず飲みたいものも飲めず、黙々 と働く、ということになる。お客さんと話ができるのは面白いけれども話ばか りしているわけにもいかず、下手すると誰もこない日もあったりして仙人みた いな生活を余儀なくされるわけだ。
それも、2、3人で回している小さな山小屋はひととおりいろいろな仕事がで きるわけだが、たとえば北アルプスの大きな山小屋だと下手すると最初から最 後まで1つの仕事、とかいうことになる。短期の人が、海の日にあがってきて いきなり日が変わる頃まで皿洗い、そのまま10日くらいひたすら皿ばかり洗っ ただけで帰っていった、なんて話を、直接知っているわけではないが聞いたこ とがある。大きな小屋は結局隔離された場所にある旅館業なので、山小屋らし い山バイトをするのであれば、ホントはあまり大きくないところでやった方が いい。だけど、そういうところはあまり公式に募集をかけたりしないのが難し いところである。

手広く仕事をさせられる小屋だと、その仕事のやりかたはわからんとか言うと 「お前何日小屋にいるんだよ」とか言われるけどね。そう言われたってOJT でやってる手伝いだし、そんなにあの仕事もこの仕事もうまくこなせるわけが ないじゃないですか。宗教上の理由でただの手伝いにはできない仕事もあるし ねえ。ね、徳さん。


歩荷で入山する場合は背負えるものは限られるが、ヘリで入山するときは若干 背負えるものに余裕がある。で、何を入れようかと思案するわけである。コー ラを持ってあがろうかとか、飴を持ってあがろうかとか、僕でも2週間、小屋 番だと最初の休暇まで1ヶ月近くあるわけだから、その間若干でも下界らしい 生活をしたい。
僕は最初に北アルプスの小屋バイトに入ったときに、そのへんの知識がなかっ た。というか、そんなことを説明してくれる人は周囲にいなかった。だから、 とにかく着替えだけ持って山へ入ったのだが、もう仙人ですよ。飲み物はコー ヒーとお茶と、お湯。それから水ね。それも水以外はちょっと図々しくないと 休憩の時間だけ、ということになってしまう。食べ物は従食は出るけど、合間 の時間に小腹がすいてもどうにもならない。
そこをいくと、何年も通っている甲武信小屋ではけっこう好き勝手やらせても らっている。実は密かに乾き物消化係とか、おやつ消化係とか言われているの かもしれない。

僕も最初は夢見て山小屋に入った。時間ができたらちょっと槍まで行っちゃお うかな、とか、槍見岩の上で昼寝、とか。だけど、実際にはそんなことはなかっ た。登山道整備でちょっと遠くまでは出たけど、基本的には小屋のごく近いと ころで淡々と働いて、昼もまあ小屋の前のベンチでちょっと休む程度の感じだっ た。
僕の知り合いに別の近くの山小屋でアルバイトをした経験がある人がいるのだ が、その人はちょっと横尾まで走ってアイスクリームを買いにいってきたとか 言っていたので、山小屋やオーナーの別によってもだいぶ違うかもしれない。


仙人のような生活の山小屋の楽しみといえば、酒である。小屋番の酒といえば 基本的には焼酎なのであるが、お客さんが余らせたのを置いていったり、あと は常連さんがもってきてくれたりするので種類がいろいろになる。それも、小 分けした容器でもってくるから、容器を見ても何が入っているのかわからない。

小屋明けのときに、酒を置く場所を片付けた。ちょっと置き場所が苦しくなっ てきたからおなかの中に整理しないとダメだね、なんていいながら1つ1つ手 にとって拭くわけなんだが、そこで今夜の酒の値踏みをする。今日は梅サワー だな、とか。
そうすると、コーヒーのボトル缶が1つ出てきた。おっコーヒーだ。これ俺が 飲んじゃお、と思って小屋番に声をかける。
「コーヒー焼酎だろ」
「いや違う、これただのコーヒーだ」
いや、そこには酒しかないはずだぞ、という話になった。ほら、と言って見せ る。そうすると、ああ、それ、お客さんがコーヒーの缶に酒を小分けして持っ てきたやつだ、とかいう。ちょっとがっかりするのだが、よく考えてみるとコー ヒーは缶でないやつが普通に飲めるのである。
そして夜になると、酒のあてっこがはじまる。このペットボトルなんだろ。た、 多分ウイスキー、なんて話をしながら片付けと称して酒を飲む。
「これなんだ?」
「…」
「…」
「…うーん、焼酎みたいな感じがするけど、アルコールがとんじゃってるな」 な、なんだよそれは。じゃあ、こっちのは? 「それはうまいよ。梅酒はなあ、置いておけば置いておくほど味が良くなるん だ」
というような感じで、飲める酒の種類が限られていた僕も甲武信小屋でいろい ろな酒を口にした。まあでも、やっぱりビールとワインと梅酒くらいがいいと ころだ。

あるとき、日本酒の一升瓶を背負った。小屋番に飲ませるためでなく、自分で 飲む分としてである。ちょうど調子に乗っていたころで、小屋にマイカップを 置いた。小屋にいくと自分のカップが出てくるのである。
今度はボトルキープだべさ、ということで小屋に自分のボトルを入れたのであ る。といっても、僕も「だんだん減るボトルキープ」のつもりでいた。その割 には意外に減らないな、と思っていたのだが、後で聞いたらホントに誰も口を つけていなくて僕専用だったそうだ。いい気分で飲んだけど、その後の瓶の処 理をどうしたかまでは聞かなかった。どうも状況を総合すると、その後の瓶は 小屋番が背負って下りたようだ。ごめんね。
それ以来、あの剣菱(酒の名前)は、と言われている。

今は普通に酒が出てくるので、ボトルキープは入れていない。それはもっと質 が悪いな。背負う酒も、紆余曲折があったが今は燃やせる紙パックのワインで 落ち着いている。

(2015.5.7 12:3)(by script)




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