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山は逃げるんだよその後

先週、この場所で山を欠かした報告をしたと思うのですが、今週も欠かしてしまいました。

子供が熱を出したんです。季節の変わり目だし、子供のすることだから仕方がないんです けど、ちょっと今週の欠礼はイタかった。というのは、今週は僕が山岳会はいって、はじ めての会山行の予定だったのです。僕も楽しみにしていたし、会の方でも僕のことを楽し みにしていた人がいたかもしれない、と思うと、ちょっと忸怩たる思いがします。

少し前だったら、大事な1日だから、ということでかちゃんに子供任せて山へ行ったかも しれない。だけど、かちゃんの状態も万全でない。僕が面倒見ないといけない。かちゃん に聞いたら、明日はいてほしい、というので、残念ながら今週も山を欠かす、ということ にした。


いちおう、今月5日に、山というほどではないですけどいちおう山へ行ったのですが、そ こから数えても約2週間、間があくことになります。僕くらいのトシになると、2週間は 体力維持のぎりぎりだと言われていて、それ以上あいてしまうと体力維持もままならない と言う。月後半にはなんとか巻き返して、ちょっとヒットな山行をしたいと思っている。

あとは、先週と同じようなことなのですが、


僕は以前にも書いたと思うのですが、どうしても行きたい山、というのはほとんどなく なった。あの山でなければダメなんだ、という山はほとんどなくて、どこか、なにがしか の山を歩いていれば、なんとなくシアワセになれる。和了っちゃったんですね。

だけれども、今日山へ行かなかったことは、きっと人生のどんづまりで後悔する、と思っ ている。行けるのなら、多少の無理をおしても、万難排して山へ行かなければならないと 思っている。僕らは今生きて生かされていて、生きている、という中で「最善を尽く」さ なければならないんだと思います。それが、生きている、ということに対する礼儀であり 人生に対する礼儀。僕らはただ自分のチカラだけで生きているわけではないし、今生きて いるという幸運を、無駄に使ってはいけない。精一杯一生懸命に生きていかなければなら ない。

山とともに生きていくことを選んだ人は、多少無理をおしても、精一杯一生懸命山へ行か なければならないのだと思うし、それが社会の中で生かされている中で社会に対して自分 に対してやれることのような気がします。


僕は忘れもしない2003年の秋に過労死寸前で病院にかつぎこまれて、死の淵から生還 した。今生きていることが奇跡。同じ境遇の人が討ち死にする中であの日幸運にも死なず にすんだ以上、死ななかった、という幸運は絶対にドブに捨てたりはしない。雨ごときで 山に欠礼しようなんていうことは僕のアタマの中には基本的にないし、明日半日時間がと れようものなら万難排して山へ行ってやろうと思っている。


子供をきちんと育てることは、山へ行くこと以上に大事なことだと思う。万障繰り合わせ て山へは行くけれど、子供を放置して山へ行くことは許されないだろう。今週は子供の体 調を見守ることにする。山の方はその分、また別の日に時間をとって、別の機会に頑張る ことにする。

なんにしても、全力で、一生懸命生きることが大事なのだと思う。山というものを抜きに しても、自分の人生に対して一生懸命でなければならない。今日は、子供に対して一生懸 命にならなければならない日だと思って、山のことはひとまず置いておくことにしよう。


(2014.11.15)

(2015.5.7 13:12)(by script)




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