サイトマップ | 更新停止のご案内 | このサイトについて


   

百名山は黙ってやれ

数多の人が深田久弥氏の選定した百名山を登っている。目標をもって山に登 るのは悪いことではないし、百名山を目指すこと自体に否定されるいわれは ないと僕は思うのだが、悪いことは言わないから、百名山をやってるなんて ことは黙っていたほうがいい。黙っていたほうがいいし、間違っても自慢の タネになんかしてはいけない。


まずですね、僕らから見ると、百名山を1つも登ってない人も、99登った 人も、たいして違いはないのである。どっちも「完登はしてないね」の括り で終了。それだけなのである。まあ、1つも登ってない人は別の意味でかな り興味があるし、99の人には最後はどこですか?位は聞いてあげるけど、 99だからどうとは思ってない。ただの、完登してない人なのである。今 58座なんですよ、なんてのには何の興味もない。ああ完登してないんで すね、でおしまいなのである。人に言うほどのことじゃないんだよ。言う だけ無駄だから黙ってたほうがいい。少なくとも、登った山が100にな るまでは、百名山をやってるなんてことは黙っていた方がいい。黙ってれ ば、完登してないね、と思われることもないんだから。

あとね、百名山は90からが大変なの。労力的に折り返しは80くらいだか ら、50をちょっとこえたところで、折り返しとか言ってるのは見苦しいの。 関東近県に住んで、ある程度登山経験があって、ある程度広域で山登りして いれば、よほど百名山を選んで排除しない限り普通に50くらいは登ってる もんだ。50くらいだと、折り返しどころか、百名山やってますの「や」に もかからない。隣の、何もやってない人もその位登ってるんだから。
そりゃ、遠方や高い山から順番に塗り潰している人は別だよ。だけど、普通 は大変なとこから優先的に残る。幌尻岳とかね。1座だけ残して3年も足踏 みするなんて普通なんだよ。そして、3年あれば速い人だと残りの99座を 登ってしまう。

そもそも、百名山なんかみっともないんだよ。登山界でどんな目で見られて いるかは、百名山に関われば遅かれ早かれ見えてくるだろ。あなたがどう考 えているかは関係ない。あなたは、その百名山というものを蔑んだ目で見る 人に、百名山を語るわけだ。少なくとも無差別に百名山を語ると、蔑んだ目 で見る人にあたるんだよ。それがいいことか悪いことかは関係ないんだよ。 どっちが正しいかは関係ないんだよ。無差別に百名山を語るとね、当たり前 だけど蔑まれるんだよ。

あとね、百名山はね、別に難しくないの。おカネが用意できれば、あとのた いていのことは解決する。百名山で、ツアーのない山なんか探すほうが難し い。みーんな連れてってくれるんだから。自力でいったって、各山をそれぞ れ単独で登ってる分にはマネジメントする必要もなければ、テントを背負う 必要もなければ、地図を見る必要すらあやしいもんだ。一部の2,3の山だ けツアーでいけば、火器すら買う必要もない。その程度のことが、なんで自 慢になるの?だからね、登り方なの。いくつ登ったかじゃないの。

僕だって山の話は好きだからね、話くらいは聞きますよ。だけどね、この人 たち、登山口から、って言うんですよ。だから、どこの登山口なの?って聞 いても説明できない。もう、デフォルトで最短ルートなんですよ。下手する と連れてってもらってるからコースもわかんない。最短ルートの話と、コー スタイムの話と、あと山小屋の夕食がうまかったかまずかったか、その位し か話が出てこないから面白くないんだよね。僕、行ったんだもん。行ったん だから、知ってるんだよ。知ってることを改めて話されても面白くないんだ よ。まあ、僕は最短ルートで登ってない山も多いから最短ルートの話は知ら ないこともあるけど、それはさておき、僕にとって、この「話をした人」は 百名山を登ったすごい人、ではなくて、つまらん話しかできない人、なんだ よ。百名山の最短ルートなんか、たいていの人は1度は行ってると思った方 がいい。僕が聞きたいのは通り一遍の話じゃないんだよ。通り一遍の話をし たいんだったら、どれだけ面白おかしく脚色できるか腐心したほうがいい。 そうでないんなら、こいつは知らないだろうと思う話を仕込むべきだ。
それができて、はじめて百名山が血肉になるってことなんだ。

実際に完登しても、黙ってたほうがいい。百名山完登してる人をGoogleで検 索してみな。次から次へと出てきて、匙を投げたくなる位だから。自慢にな んかならないし、下手するとベテランのたしなみ、位の勢いだよ。目の前の 人が百名山を完登してる可能性もあるし、それどころか自分が自慢してる相 手がね、下手するとヒマラヤニストである可能性さえあるんだよ。それが山 の出会いってもんだ。僕に百名山完登してますって語ってくれた人は10人 や20人じゃないし、ヒマラヤの6000m位の山に登った人でさえ片手で 足りないくらい出会ったことがある。油断ならないんだよ。百名山ごときで 自慢なんか、くれぐれもしない方がいい。いつか恥をかく。だって、僕は登っ たんだから。完登したって、僕と同じことを後からやっただけなんだもん。 すごいと思うか?はあそうですか、位にしか思わないよ。自分がやったこと と同じことだから別段興味もないし、そんなことで自慢されたって、正直つ まらんことを喋ってるな、隣の人なんか別の話題振ってくれないかな、って 感じるだけなんだ。
完登なんかどうでもいいんだよ。完登に際して、いかにおもしろおかしく セッティングできるかどうかが問題なんだよ。あの人の完登は楽しかった ね、って、言わせられるかどうかが力量なんだよ。で、楽しんだら忘れちま え。次に何をして楽しませられるかを考えたほうがよほど建設的だ。


それからね、昔の栄光を語るのはかっこ悪いの。100登ったのか、80な のか、60なのか知らないけど、所詮過去のことじゃないですか。まあ、 100なら栄光だけど、80なんか栄光にもならない。昔の自慢話なんか、 聞かれなきゃしちゃいけないんだよ。自分から喋りたいのは、誰も聞いてく れないからでしょ。
日本にはね、不言実行、って言葉があるんだよ。過去のことなんか語ってな いで、やってみせればいいんだよ。この人は実力者だと思わせるようなこと を。つきあってるとね、言わなくてもわかるんだよ。この人はすごいことを やってきた人だってのが。僕なんかそんなじゃないけど、百名山の自慢なん かされるよりもさ、いきつけの山小屋いって小屋番の酒飲ませてもらった方 がいいだろ。翌週プチバリエーション入って、地図の読み方教えてもらった 方がいいだろ。そういうのの積み重ねが信頼になるんだよ。だからね、そう いうのはできないし、ネタも持ってないなんてのはね、要するに百名山から 何も得なかったってことなんだよ。何も得なかった百名山を自慢するからバ カにされるんだよ。

山は自由で、好きなように線をひいて、好きなように語ることができる。だ が、語ったことがどう受け取られるかは、語り手の自由にはならない。
語るということには、必ず受け手が必要である。どう受け取られるかが自由 にならない以上、受け手に受け入れてもらおうと思うのであれば、受け手の 気持ちも斟酌した上で、自分が自由にひいた線にフィルタをかけて語るべき である。間違っても、自分がバカを見るような発言はすべきではない。これ は山の世界に限ったことではないはずである。

(2015.5.7 13:11)(by script)




更新)


mixiチェック

mailto:mailaddress

tozan.net - http://tozan.net