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遠い山

遠い山はいろいろあるが、僕にとって黒岳ほど遠い山はない。確かにアルプスでは最奥の 山ではあるが、それ以上に僕には遠い山だった。

通常、黒部川源流の鷲羽岳と黒岳はセットで登られるものだと思う。だが、僕はこの片方を 落とした。2003年、槍から剱岳へ向かって縦走した。三俣山荘から黒部五郎へ向かったの で、鷲羽だけ登って、黒岳は残しておいた。いずれ読売新道を下りにくる算段だった。

しかし、この年が人生最後の健常者の年になった。

1年近く、寝て、起きて、テレビを見るだけの日が続いた。はじめてテレビを買った。まだこの ときは2度と普通の人生が送れないとは思ってもいなかった。いずれ社会復帰できるものと 信じていた。だから、なおのこと焦っていた。手元には20代にしかできない、決めなければい けない縦走が1つ残っていた。

季節は僕の体調などおかまいなしにやってくる。やがて夏がやってきて、梅雨があけて、 毎日続く晴天を見ながらベッドの上で過ごしていた。夏がいってしまう。
僕は山をはじめるのが遅かった。もう1シーズンたりとも無駄にはできない。そう思ったら、 いてもたってもいられずに荷物を詰めていた。

縦走する体力はない。どこかしら登れるところ、と思って選んだのが去年のぼり残した黒岳 だった。
春先には車の運転も許可されていたが、この半年で登った山は大菩薩嶺と雲取と三つ峠。 到底勝算なんかなかった。案の定初日から予定の幕営地までいけず手前で幕。アタックの 日は三俣山荘から空身で行ったのに岩苔乗越で力尽き、あの1時間を何度も座り込みなが ら山頂に立った。帰りは源流から登ることもできず、ビバークも覚悟だった。遠かった。あん なに遠いと思わなかった。

うちからアルプスはそんなに遠い場所ではない。ぐるぐる回っているうちに、いずれは再び訪 れる機会もあるだろうと思っていた。だが、その「再び」は今のところない。

2005年は神がかって山へ行った年だった。槍の方から針ノ木の方へ縦走するので三俣山 荘にテントを張った。もう、晴れがやってくるはずだった。黒岳の山頂にも立つはずだった。 だが、夜通し大雨で朝もだだ降り。もう、乾いた装備なんか何もない。順当にいけば停滞する ところだが、残った薬の数に余裕がなかったのでつっこんだ。黒岳はおろか、水晶小屋もどこ にあるかわからん位の大雨になった。烏帽子までいくつもりだったが、命の危険を感じて野口 五郎の小屋へ逃げ込んだ。目の前まで行きながら、黒岳を踏むことはなかった。

次のチャンスは、雲ノ平の縦走をするときだった。このときも三俣山荘にテントを張って、次の 日岩苔乗越までやってきた。だが、このときも天気が思わしくなく、黒岳はパスすることにした。 高天原までやってくると、真っ青な空の上に黒岳は聳えていた。ほんの1時間か2時間、出発 が遅ければ黒岳まで行っていたことだろう。
薬師岳から黒部五郎をこえて三俣蓮華へやってきたときに、雲の平をもう1周できるだけの食 料がザックに入っていた。もう1周すれば勿論黒岳は踏める。だが、登山計画書に書かなかっ たルートを取るのは避けた。このときもまた黒岳を踏むことはなかった。

2006年は体調のよくない年だった。何度かでかけたが、全部途中で中断して帰ってくる年だっ た。そして、2007年は子供が生まれて山どころではなかった。

今年もまた夏がやってきて、夏がきたから縦走にでかけないといけない気分になった。だが、 本当に山にいきたいのかどうか、僕にはわからない。夏がきたから、山へいかないといけない 気分になってるだけなのかもしれない。また、でかけてみたはいいけれど途中で嫌になって 帰ってくるかもしれない。そして、それが病気のせいなのか、山から興味を失ってしまったから なのか、知る由もないことだ。

子供が生まれて、もう無茶をするのはやめようと思っている。子供のために時間を使おう。もし、 今年黒岳を踏むことがなければ、おそらく再び黒岳を踏む機会はないはずだ。

あの山は、僕の心の一番遠くに、今も聳えている。

(2015.5.7 13:11)(by script)




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