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追憶の百名山

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追憶の百名山 〜記憶に残った16の山々〜

なるべく山のプロフィールやコースガイド、山行記録といった文章は避け、ガイドブックを求めている人にははじめから読んで頂かなくていいように配慮した。 なるべく僕にしかかけない個人的な山の感想を選んで、読みやすい長さになるようにした。

16という数に特に意味があるわけではないのだが、山名を見て、文章をイメージできた山を選んである。その数が、たまたま16だった。
こういった書籍を見ると100の山全部書いている人が多いが、僕はそれははしたないと感じた。印象の弱い山もあるし、僕にとってどの山も公平に存在するわけではない。 書きたい山のことだけを選んで書いたし、多分その方が読みやすい文章量になるだろうと考えた。

ありえないこととは思うが、この文章の人気が出れば、続編としてもう16くらいは書いてもいい。


1.幌尻岳 2.飯豊山 3.会津駒ケ岳 4.越後駒ケ岳 5.安達太良山 6.雲取山 7.丹沢山 8.甲武信岳 9.白馬岳 10.剱岳 11.槍ヶ岳 12.富士山 13.光岳 14.大台ケ原 15.久住山 16.宮之浦岳 後拾遺1.平ヶ岳 後拾遺2.谷川岳 後拾遺3.塩見岳 後拾遺4.大菩薩岳 後拾遺5.八ヶ岳 後拾遺6.岩手山 後拾遺7.八幡平 後拾遺8.祖母山 後拾遺9.苗場山 後拾遺10.黒岳 後拾遺11.大峰山 後拾遺12.悪沢岳


1.幌尻岳

その日は、様似にいた。日高山脈の最南端、アポイ岳の登山口で、晴天を待っていた。
神奈川の自宅から北海道へ渡って、いったい何日目だったろうか。今回の北海道行き
では、暴れ川を遡行する幌尻岳の登頂はまず最優先だった。だが、この日も、雨。そ
れも、だだ降りになるのを、車の中から見つめていた。
幌尻岳は百名山イチの問題児。増水で登れなかったなんていうのはまだいいほうで、
1週間小屋にとじこめられたとか、登山道が閉鎖されたとか、あごまで水に浸かった
とか、とにかくひどい話は枚挙に暇がない。ヘリで救助になったり、命を落とした者
さえいる。できることなら雨の日の翌日1日晴天をおいて、翌日入山、1泊で下山。
3日の連続した晴天が欲しい。だが、それがつかまらない。幌尻岳は天候の都合でど
んどん後回しになった。

財布の中身と、残りの日程とを見ながら、日程的にあとはもう登る山を取捨選択しな
いといけないところまできた。どうするか。もう2度と仕事ができない体になって、
多分ここで帰ると金銭的にはもう再び北海道へやってくることは著しく困難だ。ニペ
ソツと夕張岳を諦めて、幌尻は2日の曇天でつっこむことにした。

初日は雨があけた日で、股下くらいまで水につかった。この日はさほど水量が多くは
なかったようだが、1日あけた翌日の帰りはずいぶん少なかった。股下だから、もう
ぎりぎりだと思った。これ以上多かったら、単独でロープなしでは難しいと感じた。

この日テントを張ったのは僕一人だけ。山小屋は大盛況だったようで、この日百名山
を完登した人も4人いた。僕ももう97座目。完登は完全に意識の中にあった。あっ
たから、一足先に完登した人のことは気になった。

両脇に咲くたくさんの花を見ながら、山頂に立ったのはその2時間30分後。あたり
は一面真っ白で、戸蔦別岳や七ツ沼すら見ることができなかった。その深い山の全容
を見ることはできなかったが、その行程を思い返すと、日高というのはほんとうに深
い山だなあ、と思った。
オーバーユースの話や混雑の話はいやでも僕の耳に入ってくる。川を遡行するのは、
1度は経験したい幌尻の醍醐味だなと思いつつも、別のルートも検討した。だが、こ
の深い山の、いつ人と出会うかさえわからない他のルートを、実際に歩く勇気はなかっ
た。

結局、最短ルートから1度だけ、という条件つきで登頂を果たすことはできたのだが、
もし僕が北海道に住んでいて、何度も幌尻へ通えるような環境にいたとしても、でも
きっとこの山は知らないことが多すぎる山として僕の中に居続けるに違いない。

2.飯豊山

僕はこの山で百名山が完登になった。完登なんてものはどうでもいいことなのだが、
完登に際してどれだけ面白いことができるか、というのは、ずっと前から考えていた。
自宅の近くの山が残っていれば友達を呼んで何かができるが、そういう山はあいにく
残していない。残している山を眺めて、小規模な山小屋のある山がいいな、と思って
いたので、飯豊が最後になった。

この山はもちろん縦走するのが理想だが、簡単には事が運ばない。体力的には許され
ても、なにしろ交通の便が悪すぎる。月曜日から予定が入っていて、どうしても土日
しかとれないので、自宅から一番近い登山口を選んで、川入から本山を往復した。交
通の便を考えるとこの山は川入から入って、反対側の最後のピークの杁差岳を往復し
た方が楽なくらいだと思った。

厳しい鎖場をのりこえると、お花畑と一面の青空が待っていた。ところどころにある
白い雪渓との対比が目を楽しませてくれた。花の名前なんかよくわからなかったが、
持ち帰った写真を見返してみると、あまりお目にかかれない花も含まれていたようだ。
本山小屋までコースタイム9時間40分の長丁場を歩いて、もう重いザックを投げ捨
てたいほど疲れていたが、投げ捨てると中に入っている一升瓶が割れてしまうのでそっ
と置いた。そして、みんなにふるまいます。小屋番からまず1本お祝いのビールをい
ただきまして、で、みんなで日本酒を飲んでお祝い。それが足りなくなると今度は小
屋番の焼酎まで取り上げて飲んだ。いい気分になったところで、一番最初に就寝して
顰蹙を買った。

飯豊山は、いつかは縦走したいとは思っているが、夏の山行はどうしても毎年アルプ
スになってしまうのでなかなか機会には恵まれない。恵まれないというよりも、交通
の便を調べるのがおっくうで、それを肩代わりしてくれる人がいるとしたら、ぜひ同
行したいと思っている。

その後の縦走で、このときに一緒でお酒をふるまった人と、なぜか五竜岳で出会った。
僕は気づかなかったのだが、あちらは余程印象に残ったらしく覚えてくれていた。山
の世界は狭いものだと思ったが、勿論その後出会ってはいない。あのとき僕のお祝い
に立ち会った人の中にも、もしかしたら今度は自分のお祝いができた人もいるかもし
れない。でも、僕にはそんなことは知る由もない。

3.会津駒ケ岳

山小屋で待っていると絶好の晴天になった。さっと雲がひけて、快晴の草紅葉が広がっ
た。しかし、日帰りの人はみんな帰ったあと。僕ら2人と1台のカメラだけが、この
絶景を楽しんだ。
会津駒は2度目の山行だった。いい山になる予感はまったくなかった。朝から雨ふり
で、途中で雨具を着込んだ。秋口だというのに紅葉はもう汚くなってしまい、見るべ
きところもなく淡々と歩いた。今日は山小屋で楽しめればいいや、という算段だった。
絶好の晴天になって、いまだ、と思って中門岳まででかけてみた。会津駒の山頂は特
筆するピークではないが、その奥の高層湿原は黄金色に輝いていた。
僕はあまり山中でゆっくりするのが得意ではないが、中門岳の登山道の末端までいっ
て、少し昼寝を決め込んだ。

はじめての会津駒はGW明けだった。西への旅のはずだったが、天気予報を見ながら
東にかえた。どうしても会津駒にいってみたい、と思ってでかけたわけではなかった。
だが、この山はまず新緑で迎えてくれた。やがて足元は真っ白になり、いい気分で登
ることができた。そして、山頂では思い出の燧ケ岳と、まだ見ぬ縁遠い平ヶ岳の展望
が出迎えていた。この山はフェイヴァリット。またもう1回、のチャンスを狙ってい
た。この前は雪の季節だったので中門岳まではいけなかったが、今度は中門岳まで足
をのばしてやろうと思っていた。そのためには小屋泊まりだが、1人で泊まるには勇
気のいる小屋で機会を伺っていた。

小屋に戻って、さっそく宴会をはじめる。土鍋とワイングラスをザックから取り出し
た。いい気分で酔っ払って、夕景の撮影はパスしてしまった。やはり登山は泊まりに
限る、とつくづく思った。

遠くからは特定しづらいピークだと思う。燧ケ岳からならわかるが、もっと遠くから
あれが会津駒、とわかったことはあまり記憶にない。いちばん近くのICから一般道
を100キロ近く走る奥深い山。日帰りにはふさわしくない、つくづく遠い山だと思っ
た。

朝はガスに包まれて、希望した池塘と朝日の写真は撮れなかったが、それでも十分に
堪能することができた。思い残しがあるわけではないが、この山はフェイヴァリット。
また絶対に機会があると、僕は信じている。ただ、春先にいって、秋口にいった。次
はいつの季節にしたらいいか、考えあぐねている。

4.越後駒ケ岳

計画から実行まで長い山となったが、車を出してくれるパートナーがみつかったので
幸いにも実行に移すことができた。今回は越後駒から中ノ岳へ縦走するビッグな登山
になる、はずだった。
この年は雨つづきで、夏の縦走も雨にたたられて散々な思いをしていた。今度こそは、
と思ったのだが、関越道は大雨で50キロ規制。天気予報は悪くはないはずなのだが、
とりあえず赤城PAで車をとめて思案することにした。僕はもう今年の雨つづきにメ
ゲていたが、とりあえず登山口まではいってみよう、ということになった。
十字峡に車を1台とめて、枝折峠へ車をまわした。登山口で仮眠しているうちに翌朝
はこの夏いちばんの好天になって、越後の山を満喫した。
この日は山頂の小屋泊まり。日帰りの人もけっこういるようですが、僕らはここで泊
まって、翌日は中ノ岳の避難小屋泊まり。3日目に十字峡へ下山のゆったりプランで
ある。1時間ほど昼寝をして、2003年の夏、2003mの駒ケ岳の山頂に立つこ
とができた。夕食には初物のマツタケを焼いて食べた。

しかし、このゆったりプランが仇となった。夜半から強風につかまってしまう。観測
史上最強というふれこみの台風がきていたのだが、それの足が、どうやら予想より1
日早いようなのだ。初日に中ノ岳の避難小屋までいっていればもう何があっても十字
峡へ下山するしかないが、駒ノ小屋だと戻ったほうが早い。かくして、この登山は車
2台でのりつけるという無駄をしながら、往復登山になってしまった。

この山が、健常者としての最後の山になった。もう、思い切り山へいくことはできな
い。あのときの思い出と悔しさを胸に、絶対に次は縦走で行こうと決めている山なの
で、この山の2度目はいまだに経験していない。
越後駒の縦走も自分の中ではあたためている。あたためて、もう長いことになってい
るが、だが、車が2台ないとどうしようもない縦走。僕のまわりでは同乗してワリカ
ンにしてくれるありがたい友達は多いのだが、自前で車を出してくれる友達はあまり
いない。よって、今のところ機会には恵まれない。あの周辺を通過して、あの山を眺
める機会はたびたびあるのだが、すまん、いつか必ず登りにいく、と誓って、そして
通り過ぎてしまう。

あの日、車2台で帰ってきた後、天気予報は「台風はそれました」、と報じていた。
1度チャンスを逃すと、次がなかなか巡ってこない山というものは、確実にあるもの
だと思った。

5.安達太良山

この山の魅力は、くろがね小屋の温泉にあると思う。安達太良山は、帰ってくるまで
まともな精神状態を維持するとしたら、うちから日帰りでいける最遠の山である。高
速道路のすぐわきという交通の便のよさが手伝って通いやすいと感じる山ではあるが、
それでも片道5時間以上。運転して、ある年の2月にあっさり敗退した。登山口から
歩き始めて1時間足らずでの敗退。あまりの強風にたたかれて、せめてくろがね小屋
まで、と思ったのだが、それもかなわずに敗退になってしまった。高い交通費になっ
た。

安達太良山へは春と秋にすでに登っていた。秋口はまあまあだったが、このときは運
動靴だったので厳しい風の中鉄山の山頂にはたつことができず、乳首も周囲は一面真っ
白で展望に恵まれなかった。その心残りを埋めようと春先を選んで改めてでかけたの
だが、春先のまだ雪がまだらに残っている様はいかにも冬山の残り香がしてよかった。

次は、冬の安達太良をやるのが課題だと思っていた。山腹にくろがね小屋という温泉
つきの山小屋があって、ここに泊まって温泉に入るのをもう1つの課題にした。
インターネット仲間が何人か敗退するのを横目で見ながら当然のように一番厳しい2
月を選んだのだが、そんなに山は甘くなかった。近い山なら普通に次も2月を選ぶと
ころなのだが、遠い山で何度も敗退を繰り返したくはないので、少し甘いだろうと思っ
て同じ年の12月を選んだ。原色の白と青、いや紺しかない日で、シーズンに何度も
ないという好天に恵まれた。まさに冬山の醍醐味を一身に楽しんだ日であった。

しかし、くろがね小屋にはいまだに泊まっていない。宿泊については、少なくとも冬
季は予約が必要なのだそうだ。それをしていかなかったもので温泉は入れたものの日
帰りになってしまった。

その後もう1度安達太良山はおとずれているが、このときは時間の都合で往復ともゴ
ンドラ。これがあのときの真っ白な山か、という印象で、やはり登りかたと登る時期
によって、山の印象もたいそう変わるものだと感じた。

安達太良山はなぜか課題を感じる山だと思う。鉄山の山頂から北に見える、あの鉄山
の避難小屋に泊まって箕輪山をやってみたいと思っているが、いまのところそれがか
なう見込みは、ここ数年のスパンではなさそうだ。山自体は難しい山ではないので、
子供を連れていくのも考えてはいるが、山は問題なくても子供は車の中で5時間以上
もじっとしていてくれないのである。そういう意味で、安達太良山はなんとも遠い山
になってしまったと、感じざるを得ないのである。

6.雲取山

登山をはじめて間もない頃は、この山に冬登るのが目標だった。今となっては笑い事
だが、雲取から先は本格的な冬山、雲取より下は陽だまりハイキング、という区分け
で、冬の雲取へいってきたなんていう記録を見ると、この人はすごい人だ、という分
類になっていた。
雲取山ははじめから残雪期に入ったが、ある年一念発起して冬にとりついてみた。コー
スはより積雪の多い三峰側から、それも2月のいちばん積雪の多いときを選んだ。意
外と自信はあったのだが、そんなに甘くはなく、夏なら1時間かからずに行く霧藻ヶ
峰で敗退になった。鳥居のところからトレースがなく、わかんでラッセル6時間の末
の敗退だった。
翌週鴨沢から登って石尾根を縦走したが、三峰からのルートが心残りで翌年1週間分
の食料とスキーを背負って同じルートに挑んだ。だが、最初に入った年が極端に雪の
多い年であった事に、しばらく登って気づかされた。白岩小屋付近でわかんを履いた
ものの、スキーができる場所なんかどこにもなかったのである。1日目は白岩小屋の
前にテントを張って、2日目にはあっさり山頂。翌日には鴨沢まで降りてきてしまっ
た。

それ以来、何度か2月には登っているが、この山でラッセルを経験したことはない。
ここ10年くらいでも、だんだんと積雪が少なくなっているような気がする。

20回の登頂を数え、山頂の避難小屋をおいら別荘などと呼んでいる雲取山だが、登
山の大半が冬で、梅雨に1度飛竜山へ行った以外に春〜秋の記録はない。冬の空気の
澄んだ日の、富士山や都心の夜景が大きな魅力とはいっても、たぶん最初のラッセル
の末敗退した思い出が、まだ尾をひいているのではないかと思っている。

7.丹沢山

丹沢山塊には、丹沢山というピークと、蛭ヶ岳という最高峰がある。我が家からは一
番近い場所にあるのが丹沢なので、あまり好かない山とはいっても地図に線をひけば
おおむね全域に朱が入るくらいの回数は歩いている。その大半は一般ルートだが、バ
リエーションルートや沢登りも含まれた。ところが、なぜか蛭ヶ岳だけは疎遠だった。

なぜ疎遠だったかといえば、縦走すると帰りのバスの便が絶望的に悪いというのもあ
るのだが、日帰りでいくのは困難であるにもかかわらず、蛭ヶ岳周辺には避難小屋も
なければテント場もない、というのが大勢の理由を占めている。蛭ヶ岳の山頂を踏む
には、大枚はたいてどこかの山小屋に泊まらないといけない。それも、あまり評判の
よろしくない山小屋だということになれば、雲取や甲武信や、もしくは同じ丹沢でも
西のほうの避難小屋のほうに足が向くのは自然な流れだったといっていい。丹沢には
主稜縦走と主脈縦走という2つの蛭ヶ岳を踏む主要な縦走があるが、この縦走には目
もくれず脇のピークを拾っていった。百名山も丹沢山でよしとした。

だが、だんだんと残されたピークが少なくなると、真ん中にいちばんの主峰が残され
ているのが気になってくる。少し時間があいたのをみはからって、あのピークを日帰
りで踏んで縦走しようと計画した。しかし、あえなく敗退。翌月もう1度チャレンジ
したが、このときも再び敗退した。このピークを踏もうとして敗退したのは、この2
度だけではない。実は10年ばかり前から、何度か敗退を繰り返している。
その年、翌月にもう1度の挑戦の末、ようやくその山頂を踏むことができた。近くて
遠いピークだった。この主脈縦走で、日本海−自宅−太平洋、の赤線が車道を残して
繋がった。

丹沢山を百名山とするか、蛭ヶ岳をして百名山とするかは諸説があるが、原書である
深田久弥著日本百名山にあたるとするならば、そのいずれでもなく、だいたい山塊の
中をまんべんなく歩け、というのが正解のように思われる。そうなると、何をもって
登ったか登ってないか、というのは甚だ雲をつかむような話になるが、そもそも登っ
たか登ってないか、で明確な線引きをする、という行為自体がおかしいのかもしれな
い。

もともと足が遠かった丹沢だが、まじめに写真をやるようになってからはさらに足が
遠のいている。あちこちに柵をはりめぐらされてしまって、あまりにも痛々しくなっ
てしまったからだ。丹沢はどこへいくのだろう、という思いとともに、これでは写真
にならない、とも感じている。しかし、撮る人はホントいい写真を撮っているのもま
た事実。僕がいい写真を撮れないのは、いい場所を知らないのか、はたまた実力が足
りないだけか、まあ多分両方なのでしょう。丹沢のいいところは、蛭ヶ岳でもなけれ
ば、丹沢山でもないな、というのは、間違いなく感じている。

8.甲武信岳

今、ライフワークと思って甲武信岳周辺で写真を撮っている。奥秩父で写真を撮って
いる人は少ないが、その少ないというところと、割と僕の力量にあった山だというこ
とで縁がある。たとえばアルプスだと、夏は派手だが、冬場入るには相当覚悟が要る。
油断していると命を落としかねない。だが、甲武信ならそれはない。写真にするのは
難しいが、でも撮り続けると意外といろいろ撮れるものである。そして、丹沢を別に
するとこの山はうちから最も近い百名山でもある。夏でも、冬でも、交通費の捻出で
きないときでも、散歩がてらいける山である。

しかし、最初からこの山と縁があったわけではない。むしろ、紆余曲折があったといっ
ていい。僕はこの山の最初の山行記録に、なんだこの山は?というようなことを書い
ている。そして、この後はしばらく山行があいている。たまたま連れて行く人がいて、
冬場でなおかつ雪山未経験者。いけるところが限られる。それじゃあ甲武信でも、と
いうことで甲武信へいったときに小屋につかまった。

ある年のGWに山小屋を訪れると、ちょうどいいところにきた今年はヘリが飛ばない
から手伝っていけ、とか言う。このときに歩荷を手伝ったのが縁で小屋とつながって
いる。その翌年はヘリにのっけられて、その次の年もまたヘリで入山したからもうこ
れははじめから計算に入っていると考えていいのだろう。
次のつながりは写真だった。トイレが殺風景だね、あそこでギャラリーをやろうとい
う話になって、みんなでとっかえひっかえ貼るものだと思っていた僕は、とにかく手
持ちのやつを全部プリントして、この中からいいのを貼ってくれ、って言った。次に
いったときには、それが全部貼られていて、僕の名前のギャラリーになっていた。

この山は雨の日に行くことにしている。雨の日なら人は少ないし、それに雨の日の苔
の具合がまたいい。小屋番も僕の行く日はおいしいものを出してくれる。ただし、そ
の食材は自前で背負うことが前提である。

狭い範囲で写真を撮っているので、沢登りも避けては通れない。大病したときにバリ
エーションからは足を洗ったが、そろそろ復活しないといけないのではないかと感じ
ている。

小屋の近くにいると、いろいろ気がかりな話も聞こえてくる。登山というものが変質
してしまったせいなのかもしれないけど、でも、なんとかうまくたちまわってほしい、
と願わざるを得ない。


9.白馬岳

小屋で朝食を待っていると、突然大きな音がした。白馬岳の山頂に落雷があったのだ。
なぜ僕がこんなところで小屋泊まりなのかというと、前日から大荒れでどうしようも
なかったからなのである。とてもテントを張れるような状態ではなかった。
大雪渓で事故があった年の、それももうお盆も過ぎた日で、この日の泊まりはわずか
に10人を出る位だったようだ。今日も、だだ降りになっている。

だが、もう腹の中では行くしかない、と思っていた。

この後、栂海新道を下る予定だった。こんな大荒れの日に、少なくとも3000m近い山
へ行くべきではない。行くべきではないし、こんな天気なら停滞するか、少なくとも
下山するのが筋だろう。だが、もうどちらも選べなかった。この日は、縦走28日目
だったのだ。
あと、明日栂海新道を下れば、明後日には下山できる。ところが、この日朝日岳まで
行けないと、明後日朝日岳で台風につかまる。2,3日停滞になると、薬の残りから
いってエスケープになってしまうかもしれない。ここまでやってきて、目の前にゴー
ルが見えているのにそれだけはなんとしても避けたかった。この縦走は計画からすで
に7年が経過していて、これを逃すと多分もう再びチャンスは回ってこない。この日
はもう是が非でも、たとえ命をかけてでも朝日岳の小屋まで行くしかないと思った。

山をやって、何度か危ない橋をわたった自覚はあるが、この日ほど無謀を覚悟でやっ
た日は記憶にない。しばらく小屋で様子を見て、少し小降りになったところをみはか
らって、ソレッとでかけた。山頂を楽しむどころか、山頂は走って通過するような状
態だった。何も見えなかったし、何も見る気にはならなかった。幸いにもこの後小降
りになって、予定通り朝日岳にたどりつくことができた。

この前に登ったときは10月だった。大雪渓から日帰りで、極上の展望に恵まれた。
だから、僕には白馬=花の山、という図式はない。たぶん、花の時期に大雪渓から登
れば、それは見事なものなのだろう。だが、僕は毎年のように起こる大雪渓での落石
事故を見るにつけ、僕はもうあのルートは通りたくない、と思うようになった。僕は、
10月という冬山ギリギリの時期も加味して、この山行も栂海新道へ行ったときにも
負けず劣らず勇気のある山行だったと思っている。

白馬岳では、鑓温泉や栂海新道へはもう1度行ってみたい気もするが、今それよりも
強く惹かれる課題として、欅平から白馬岳、というのを持っている。だが、この山行
は「もう行くしかない」ではなく、しっかりと計画を立てた上で安全な日にでかけよ
うと思っている。

10.剱岳

雨にたたられた山行だった。岳人あこがれの2つのピーク槍と剱をつなぐ縦走、とい
うふれこみで、槍から入山したが、初日から豪雨になった。2日目は霧だったが、こ
の日足を痛めて一端敗退。翌年再チャンレンジするものの、雨、雨、豪雨…ついに五
色ヶ原で乾き物がなくなって小屋泊にした。立山へやってくるまで、晴れたのは薬師
と北薬師の間のあぶないところを通過するときだけ。もう、今夏はダメか、と思った
が、剱岳に登るその日の午前中だけ晴れてくれた。

まず剱岳というのは難関だというのは聞かされていたので、荷物はおろか水もカメラ
も小屋の前に置いてきた。山頂へいったときは何ももっていなかったので、この日の
記録は何もない。たいした写真を撮ってるわけではないが、この日の朝焼けの剣沢は
実に綺麗だったし、山頂からの写真がないのは残念なことではある。

そして、この山へ登るのに、下準備があった。クライミングジムへ、半年通ったので
ある。その成果は十分だった。別山尾根の、ヨコバイを余裕で下ってきた。しかし、
もう1度この山へ行きたいとは思わない。僕に言わせれば、百名山では嫌いな方から
数えて、3本の指に入る山である。行くとしても、今度は早月尾根を選ぶ。あちらの
方が少し難易度が低いと聞いている。

剱岳がすばらしい山かというと、僕は山頂にたったとき、すばらしいというよりも、
生きてやってこれた、と思った。何も、そこまでして剱岳に登らなくてもいいような
気がしたが、しかし、槍と剱が岳人の目指すピークであるのと同様、槍と剱をつなぐ
縦走に、縦走派がなぜひかれないでいることができようか。

少し俗世にまみれた剱御前の小屋で、缶ジュースを1本飲みながら下に見える室堂を
見渡した。剱岳をやって心は満たされていたが、あそこへ下りていくのは嫌だ、あそ
こで観光客と一緒に歩くのは嫌だ、と感じた。あの場所は手垢にまみれて剱岳の山行
のフィナーレにはふさわしくない。この後は大日岳へ回る、と決めた。だが、この日
の午後から天気は崩れはじめ、翌日は足元に川ができる位の、本山行でいちばんの豪
雨にあたった。要するに、僕が剱岳を嫌いなのと同様、剱岳も僕のことが嫌いなのだ
ろう、と思っている。

11.槍ヶ岳

僕のアルプスめぐりはこの山からはじまった。会社をやめて、翌日から上高地へ入っ
た。当時の山行記録を見ると、北岳へ行こうとしたのだが台風の影響で行けずに行き
先変更と書いてあった。
当時は、山のことなんかよくわかってはいなかった。行き先は北アルプスにして、名
前を聞いたことがあるアレは登ってやろう、という勢いででかけた。すでに9月に入っ
ていたが、この槍と穂高の山行は絶好の好天に恵まれていい気分で帰ってきた。本当
は常念や燕あたりからはじめるのが安全であるが、あの頃は若かったとつくづく思う。
初日はババ平にテントを張って、2日目は肩の小屋でテントというのんびりペースだっ
たが、それは果てしもないと思うほど遠かった。テント場は風が強かったが、朝焼け
に染まる槍の穂先が目の前に見える場所だった。

このときの思い出に気をよくして、翌年槍の小屋へアルバイトに入った。だが、これ
が最悪の出会いだった。オーナーとあまりにも相性があわず、2週間もしないうちに
喧嘩して下山してきた。夢やぶれた日だったが、もしあれで居心地がよかったりした
ら、そのまま槍の小屋にとられてしまったのだから、それはそれでよかったのかもし
れない。

この年は登山道整備でグリーンバンドの少し下あたりまでは出たものの、結局槍を見
ることはできなかった。そのため、翌年ほとんど登山経験のない人をひきつれて、も
う1度槍を目指した。僕の事情で間の小屋をスルーして、しかも1泊2日で南岳まで
回ったものだから、相当きつかったようだ。ようだ、というのは、僕は何ともなかっ
たから。

この後も何度か槍へはいっているが、いつのときも通過ばかりで、穂先まで登らない
年もあった。そして、その通過自体も、もう数年も間があいている。
遠くから見ると端整な山だが、槍の上から見る槍のない北アルプスはイマイチ締まら
ない。僕にとって槍という山は、もう登る山ではなくて見る山になってしまったのか
もしれない。ただ、最後に行ったのがババ平までで敗退。このままではすっきりしな
いので、いずれはいかないといけないと思っている。

12.富士山

当時はインターネットなんてものは存在していなくて、僕もまだ音響カプラという装
置を公衆電話の受話器にくっつけて通信していた時代である。情報もまだ入らない時
代だったから、ろくに下調べもせずに山頂へ向かって突撃した。手提げカバンでいっ
て、靴はもちろん運動靴で、雨具はポンチョ。そして、飲み物は缶コーラが1本。も
う、絶望的に神風である。幸いだったのは、7合目あたりで靴ずれを作ってあっさり
敗退になった。それで懲りればいいのに、翌年また8合目あたりで靴ずれを作って敗
退した。そして3度目も、たいして違いのない装備で挑んで、ついに山頂へたどり着
いた。このとき、午後から台風がくるけど午前中は天気が持つな、とか、とんでもな
い天気予報で、案の定山頂についた頃から雷雨になって、豪雨の中下山してきた。
まわりはきっとベテランばかりなのだろう、と思ったのだが、冷静に考えればこんな
予報が出ているときに山へ行くのはどう考えても素人なのである。あの頃は、僕が真
面目に山登りする日がくるとは、まったく思ってはいなかった。

あれ以来、宝永山などの周辺の山を含めると山行回数は20回をこえるのだが、いま
だに1合目からは歩いていない。富士山は5合目までがいい、と言われているので、
いずれは行ってみたいと思っている。そして、冬の二ツ塚はなかなかだと思う。そこ
からすると、山頂までのルートは、今は自分では登りたい山とは思わない。しかし、
山頂まで連れてってくれ、というのは結構頼まれる。友達も何人か連れていったし、
インターネットでも何人か連れていった。今の妻も山頂まで連れていった。だが、日
本語が話せないドイツ人を連れていってくれ、と頼まれたときは本気でどうしようか
と考えてしまった。
幸い英語は通じたので、言葉の問題はクリアできたのだが、このときは7合目下あた
りで早々に足を攣ってしまい、とても連れていっている、といえるような状況ではな
くなってしまった。あのときほど辛い登山は、たぶんなかったように思う。

富士山があるということはいかにか首都圏西側の山登りを豊かにしてくれるかわから
ない。富士山自体に登ること以上に、富士山の展望を求めて登った山はそれこそ数が
知れない。

今は、インターネットで富士山に登る人を世話している。昔よりははるかに簡単に登
山の情報が手に入るようにはなったけれども、間違っても僕と同じようなことをして
命を落とすような真似はしないでほしい、と思うからである。

13.光岳

この山の山頂を踏んだのは、入山して13日目だった。他のパーティも巻き込んでの
大宴会だった。気づいたときにはビールの空き缶が十数本並んでいた。もう、あとの
ことはどうでもよかった。テントを張ったのは8時も回っていた。真っ暗で、なおか
つガスに包まれて真っ白だった。

南アルプスは前年に畑薙から甲斐駒まで、その前年には北岳から畑薙まで歩いていた。
主稜線上の主だったピークはすべて登っていて、13日間の山行はまさにこの日のた
めだけにあったといってもいい。光小屋に軽くなった105Lのザックを残して、全
力で山頂を目指した。ひどく中途半端な場所に道標はみえてきた。

暑い夏だった。平岡駅で14日ぶりの風呂に入って飯田線に乗った。そして、この夏
が終わった。

百名山で、不人気な山を挙げると、まず圧倒的に皇海山がトップで、次に荒島岳と光
岳が不人気を二分するらしい。確かに、あの中途半端な場所にある道標と、アプロー
チの悪さに比する展望のなさ、ついでに花もなくヒルも出るという条件はこの山を不
人気にさせるに十分だ。だが、2週間歩き続けたという事実は、そういったことを超
越する。あの不細工な道標が、ひどく愛おしいものに見えた。そして、あのピークか
ら少し目をはずすと、いいところは一杯ある。イザルヶ岳の雰囲気は最果て感が漂っ
ているし、静高平の水ほどうまい水にはいまだにあたっていない。

当時は、いつか深南部へ入るつもりでいた。光岳は南アルプス全山縦走のゴールであ
ると同時に、深南部の入り口。ここで終わりだとは思っていなかった。むしろ、ここ
から山ははじまるんだ、今日はここでひきかえすんだと思っていた。だが、いまだそ
の先を踏むには至っていない。それどころか、再び光岳のピークを踏む機会もない。
それだけ、この山が遠く深いということなのではないだろうか。

南アルプスでは、よく人を拾う。基本的に縦にしか歩けないし、小屋の間隔が1日分
あいているから、ある小屋で一緒になると翌日も一緒、その次も一緒。そのうち一緒
に行動するようになってグループができあがる。だが、その後山をおりて、いまだに
繋がっている人は1人もいない。あのときの光小屋でバカ騒ぎして、最後に集合写真
まで撮ったあの人たちは、いまも南アルプスを歩いているのだろうか。

14.大台ケ原

大台ケ原は、通常ドライブウェイの終点から登られる。だが、僕はいまだに自分の車
でドライブウェイの終点へは行ったことがない。
たまたま、大阪のいいメンバーに恵まれて、はじめての大台ケ原は筏場からの登山に
なった。筏場に車をおいて歩き始め、まずは渓谷美を見た。車で登った人はこの景色
を見ることができない。やがて登山道は尾根へ出て、4時間を経過する頃ドライブウェ
イの舗装道路へ出た。この日は大台教会に泊まったのだが、手配したのは僕ではない。
通常の登山客は泊めていないようなので、なにか伝があったのかもしれない。
翌日歩くにもかかわらず、この日はワインを2人で2本あけているのだから若かった。

翌朝、日の出前に日出ヶ岳へ出る。この距離から富士山が確認できる展望に恵まれた。
ドライブウェイは冬季閉鎖中で静かな山であった。今度は、美渓で名を馳せる大杉谷
から登ろうと誓い合って別れた。

その、大杉谷行きは、早くも翌年にやってくる。きわどい岩の回廊で滑って死にかけ
るが、大きな事故もなく大きな山行を成功させた。山行史でも記憶に残る美しい谷だっ
た。

その後は大峰へフィールドを移すはずだったのだが、この人とはそこで縁が切れてし
まった。大台ケ原の自然保護に注力するため、とのこと。その後、どうなったのかは
僕は知らない。そして、それ以来僕は大台へはいってはいない。

思い出の大杉谷は、登山道が崩壊して通行止めになって久しい。もう、このままなかっ
たものになってしまうのかもしれない。でも、あのときの思い出は、なかったものに
はしたくない。

もし行くとして、ドライブウェイの終点から周回はしたいとは思わない。この山のい
いところは、間違いなくそこではないからだ。そのためには、少しばかり準備と覚悟が
要る。そう思うと、なぜかこの山は遠い山に思われてならないのである。

15.久住山

百名山でどの山がいちばんよかったか、と言われたときに、この山は最後まで落とす
ことができないだろう。九州への旅行にでかけて、中日だった。牧ノ戸峠までは絶景
のスカイライン。駐車場は膨大で観光地化しているが、こういうのも嫌いではない。
しばらくは舗装の登山道を歩いたが、やがて荒涼がやってきます。GWの、まだ緑色
になってない草。いい時期にやってきたとつくづく思った。西千里ヶ浜のあたりはこ
の世のものとは思えない偉大なる高原風景だった。左手に火山を見ながらののんびり
歩きで、久住山と九州最高峰の中岳に立った。その展望はまさに闊達であった。あの
ときの思い出は頭から離れない。久住は僕と縁がある山だ。次は歌にもうたわれた坊
がツルから登って温泉で1泊、と思っていた。

九州は遠い場所である。次の機会にはなかなかめぐり合わなかったが、その次の機会
には大船山へ。時期は前回よりも少し遅らせて、ミヤマキリシマの花の時期を選んで
登った。7分咲きで見ごろと報じられていたが、コースが悪かったのか、あまりツツ
ジには出会えなかった。しかし、山頂から坊がツルはよく見えた。次こそはあそこに
行ってやろうと思った。九州のある山小屋のオヤジには坊がツルからの朝日を見ては
じめて久住を知ったことになるといわれていたが、だがその次に登ったのは湧蓋山だっ
た。久住のはずれのこの山からは久住連山がよく見えた。かくして、いまだに僕は坊
がツルには縁がない。ということは、僕はこの山のことは知らないということなのか
もしれない。

気になっていた西千里ヶ浜の登山道の荒廃も、いよいよ復元作業がはじまったそうだ。
また登山道にロープが張られてしまうのは残念だが、また自然の回復した山へ行く楽
しみも増える。次こそはあの写真のようなミヤマキリシマの群落にあたることを、願っ
てやまない。

16.宮之浦岳

一月に35日雨が降るといわれる屋久島だが、つまらんことにでかけるときにはしっ
かり晴れますように、と願っていった。どう考えても、山は雨より晴れの方がいい。
だったら晴天率の高い八ヶ岳にでもいけばいいのだが、なにしろ相手は世界遺産であ
る。たとえ雨でつっこむことになろうと、1度はいっておきたい山の代表格みたいな
ものである。

鹿児島港まで1500キロ運転して、船に乗り換える。船旅というのはなんとこう旅
情をそそるものなのだろう。開聞岳が離れていくのを見て、宮之浦港へおりたった。
船に乗るときに1人つかまえて、その人がレンタカーを借りるから登山口まで送って
いくといわれたのだが、港へおりてから明日にするとか言い出した。登山口から遠い
ほうの港だから、ここからタクシーを頼むとしょっぱなからピンチである。なんとか
バスを併用して、最小限の出費で登山口へ入ります。
初日は淀川小屋に泊まって、2日目。まだ雨はこないようだ。ほどなくして山頂に立っ
たが周囲は一面海の展望。絶好の天気で洋上アルプスの名をほしいままにします。2
日目は高塚小屋に泊まり、3日目に縄文杉を見て白谷雲水峡へ下山した。下山するま
でついに雨に降られなかった。もう少し、海まで歩く歩道もあったのだが、ちょうど
いい時間にバスがあったのと、雨がふりはじめたので車中の人になった。コースとし
ては立派な縦走だが、もう多分こられない場所。人と同じ縦走で本当によかったのか?
という思いが残った。

予算があれば平内海中温泉の観光や本富岳も楽しみたいところだが、あいにくそんな
予算はなかった。
宮之浦港へでて、帰りの船まで5時間近くある。後から考えればせめて温泉まではい
けただろうとは思ったが、なにしろ乗り遅れると万収なのでそのまま港にとどまって、
高い旅行のチクタクを無駄に使ってしまった。せめてもと思って地のトビウオを食べ
た。
帰りの船から見る屋久島のカタチは、やはり利尻岳には譲ると思った。そして、屋久
島は世界自然遺産とはいっても、開発されすぎてしまったのではないかと感じた。縄
文杉の前のテラスや、綺麗に整備されすぎた遊歩道が思い出に残る山だった。

帰りがけの駄賃に焼酎の三岳を買って、百名山完登の祝いと称して甲武信小屋にもっ
ていった。だが、僕は焼酎に口をつけたことがなかった。この、現地でも買えないこ
とがあるという貴重な焼酎は、僕の口に入ることはなかった。


後拾遺1.平ヶ岳

平ヶ岳は僕が山をはじめた年から行きたい山のリストの中にいた。なぜだろ
うと考えてみると、あの、例の「ふたたび道のない山として、その美しい山
頂が保存されるに違いない」という言葉にひかれたのだと思う。

平ヶ岳はたいていの人にとって地理的に遠い山ではあるが、だが、僕にとっ
てはそれ以上に遠い山だった。仕事のしがらみや天候に流されて、計画して
はキャンセルになることが、何年も続いた。

平ヶ岳は、ずっと僕の登山の力量があがるのを待っていた。はじめは鷹巣か
らの日帰りで計画して、アルプスの縦走ができるようになると今度はテント
になった。そして、岩登り沢登りをはじめて、恋ノ岐沢からの沢登りも夢で
はなくなった。だが、結局平ヶ岳は一般ルートから登った。そして、その直
後に沢登りからは足を洗ってしまう。平ヶ岳は、僕の登山人生の、光と影を
みつめてきたといっていい。

平ヶ岳の山頂に立った日は雨まじりの日だった。待ち焦がれていた山だった
が、仕事の都合でこんな日しかとれなかった。感動はなかった。だが、後で
写真を見返してみると、とてもいい山であることに気づかされた。

三角点のところに山頂標識がたっているが、山頂は実際にはそこから200
m以上はなれている。地形図を見ながら道標のない山頂を目指したが、しか
しあのとき山頂に立ったという証拠はない。あまりに天気が悪すぎて周囲を
見渡すことさえできなかったのだ。

今や自然を壊したショートカットの皇太子ルートが地図にも載ってしまう時
代になった。そして一方で、テント泊はやめてくれ、とまで地図に書かれて
いる。あの、桧枝岐のはるかな山は、僕が登山をはじめてからでも大きく姿
を変えてしまった。僕の登山の力量が変わるのをみつめてきた山は、山をと
りまく状況が変わっていくことを見せてくれた。今の状況をみて、例の「ふ
たたび道のない山として、その美しい山頂が保存されるに違いない」と書い
て、登山道のない山に5日をかけて登った深田久弥氏は、今頃何を感じてい
ることであろうか。


後拾遺2.谷川岳

登山をしない人にとって、谷川岳は魔の山というのがとおりがいい。だが、
実際には一般ルートを歩く限りさほど危険なところはないし、ロープウェイ
であがってしまえば楽なほうの山に入る。その、楽なほうのコースから、山
をはじめた年に登った。紅葉の時期だった。そして、それ以上谷川岳に深入
りするつもりはなかった。近くて良い山と言われる谷川岳は、うちからは関
東平野外縁をぐるっと半周しないといけない遠い山なのである。

その後、いろいろな山をやりつけて、谷川連峰の山々をぐるっと一周する馬
蹄形縦走というのをやってみたくなった。しかも、時期は10月と決めた。
はじめて行った年の、あの紅葉の時期にまた行きたいと思ったのだ。
しかし、この10月というのが難敵だった。仕事をしている頃は10月に席
をあけるなんていうことはありえなかったし、夏山の疲れと目先の冬山準備
の時期でただでさえ焦点をあわせづらい時節だ。予想通りというか、この計
画は流れに流れて、一体いついけるのだろう、という位毎年翌年に持ち越さ
れていった。決行した年も、とても天気の状態が良いとはいえず、しかも自
分の車が車検入庫中という最悪の状況だった。相棒が決行、と言わなければ
この年も流すつもりでいた。

谷川の縦走は初日から厳しいものになった。しょっぱい鎖場をいくつもこえ、
日没直前まで行動。暗くあまり快適とは言いがたい避難小屋に泊まり、翌日
は雨。もう最終のロープウェイに間に合わない時間にようやく谷川岳の山頂
に立った。真っ白で何も見えなかったが、何か遠くまでやってきたという感
慨があった。

その前の谷川岳も、実はロープウェイで登って天神尾根からの往復だった。
山頂で友達と待ち合わせたので、そのためだけに小走りで登ったのだった。
僕にとっては谷川岳はその位の山でしかなかった。2日間目一杯歩き続けて
立つ山頂だとは思ってなかった。

翌日は平標山をこえて山ノ家でテントを張った。谷川の稜線をはじからはじ
まで歩きとおした。前に平標山に登りにきて、仙ノ倉山までの稜線が素敵で、
谷川の稜線のどこかにそんな素敵なところがまだあるのではないかと思って
いた。だが、実際にはそんなところはなく、厳しい登山道だった。

谷川岳はマチガ沢にセックンでも入っている。あれで、だいたい主要なとこ
ろは歩いたつもりではあるのだが、実際にはいちばん重要なところが抜けて
いる。西黒尾根をまだ登っていないのである。いちばんのベーシックなルー
トを登っていないのだが、いちばんの縦走路をやったことで、この山には満
足しいる。ただし、いつか、また次がある山だろうということは否定しない。


後拾遺3.塩見岳

南アルプスで最も山奥の山を挙げるとすれば、やはり塩見岳が筆頭だと思う。
海まで見えるという名前の塩見だが、実際には見渡す限り山である。縦走路
をふりかえると、歩いてきた山々がはるかに見える。そして、これから行く
先もまた果てしない。行くも帰るも長い道だが、塩見岳をこえると雰囲気が
変わる。南からくればいよいよ北岳の都会的な山にかわり、北からくればい
よいよ深山になる。

広河原から北岳をあがる頃は人も多いが、間ノ岳を過ぎると目だって静かに
なる。熊ノ平の山小屋をすぎて3時間、はじめて塩見を踏んだ年は雪投沢に
テントを張った。水がぎりぎりだったが、水場がみつからず結局雨水を集め
るという苦渋をなめる1泊になった。それ以来あの雪投沢には泊まってない
が、管理人のいない、いかにも南アの奥深い様相のテント場。なんとかして
あそこにもう1度テントを張ってみたい。
塩見岳を過ぎると、鳥倉からの人と大勢すれ違うが、三伏をこえるとまた何
時間も人と会わなくなる。

翌日は、今はなき三伏小屋の前のさびしいテント場。メインルートからはず
れていて、通過する者もまばらだった。今はテント場も三伏峠に移ったので
鳥倉から往復する人と交じり合う。だけど、南へ向かえばまた静か。雷鳥く
らいしか相手をしてくれる者はいない。小河内岳の避難小屋で富士山を撮る
1日も悪くない。

はるかな南アルプス。世界遺産登録の動きもある一方で、あの谷間をリニア
モーターカーの橋脚で埋め尽くすそうだ。まだ原始なままの南アルプスに出
会えたのは、僕が最後の世代になってしまうのだろうか。


後拾遺4.大菩薩岳

大菩薩嶺といえば、首都圏近郊のハイキングのメッカ、と思われている。い
わゆる初心者向けというやつであって、すこし山に詳しくなるとちょっと軽
く見られてしまう。だが、僕はこの山は意外と奥深い山だと感じている。

おおくの岳人が通過したように、僕も山をはじめて早い時期に大菩薩嶺に
登っている。このときは、多くの人がそうであるように、車で上日川峠へ
入って、大菩薩嶺と大菩薩峠を周回した。5月の好天の日で、昔日の峠道の
ことは知らず、ただ富士山のよく見える山として記憶に残った。

次に訪れたときは、南へ歩いて滝子山へ抜けた。これが、実にいい縦走だっ
た。このときはお正月の山行で、裂石から歩いて、大菩薩の休憩所で1泊し
て初日の出。次の日は湯の沢峠に泊まった。そして、翌日登場した大蔵高丸
からの富士山は感動だった。
この縦走で、大菩薩嶺というものに対して一目おくようになった。

その次は小菅からの縦走だった。白糸ノ滝から大菩薩峠へ出て上日川峠でテ
ント。牛ノ寝を歩いて小菅へ下山した。ほとんど人と出会うことのない、静
かな山だった。

2度上日川峠からの周回をはさんで、次にやったのが笠取山への縦走だった。
上日川峠から柳沢峠へ抜け、笠取小屋から新地平へ抜けた。東京都水源林の
多くは林道に刻まれてしまったが、これもなかなかいい雰囲気である。

大菩薩嶺というと、明るく乾いた印象だが、裏側へ回るとしっとりとした樹
林が広がる。少しルートを変えるだけで、熟達者もうならせるような場所が
あるように思う。そして、甲州裏街道の話や金山の話、文学の話など、興味
深い話もいくつもある。初心者向けで終わらせるには勿体ない山だと思う。

僕はこの山の主要な登山道はおおむね歩いたことになるが、もう1度南大菩
薩への縦走をやってみたいと思っている。このルートは僕の琴線に叶った。
だが、それでは深田久弥氏がやったように山小屋に泊まることも、彼の見た
ようなのんびり昼寝をむさぼることもできない。やはり、この山は今後も通
い続けなければならない山のようである。


後拾遺5.八ヶ岳

八ヶ岳が好きな人はいっぱいいるが、僕は八ヶ岳はあまり好きな方の山には入
らない。僕は山をはじめて、まずはじめに北アに入って、次が南アだった。だか
ら、八ヶ岳はどうしてもスケールが小さい山、ということになる。少しアルペン的
なムードはあるが、左を見て右を見ると、平野が広がる山という塩梅だ。そして、
八ヶ岳にはどうしても林道を歩かされるというイメージがつきまとう。それに、縦
走路は峻険であまり僕向きではないと感じている。

八ヶ岳は山体の総称で、主峰は赤岳というが、この赤岳にはじめて登ったのは
12月のことだった。ちょうど山に燃えていた頃で、冬山ということで連れていっ
てもらったのだが、自力ではちょっと無理かな、と感じた。それ以来冬には行っ
ていない。ただ、次にステップアップするとすれば、ここになることは間違いな
い。
次は太平洋から日本海に向けて歩いての通過だったのだが、その次は山頂で
友達と待ち合わせだった。僕にとって赤岳は、待ち合わせ場所、くらいの山で、
あまり本格的な登山の対象ではないような気がする。その次がmixiのオフ会と
きている位だから、登山の場というよりも、遊びの場と捉えた方がいい位のも
のだ。

主峰から目をそらしてみると、意外と八ヶ岳は面白い。冬の天狗岳はよく通っ
たし、もう少し北にいくと格好のスノーシューのフィールドになる。南に転ず
れば縦走路はなかなか勇猛果敢であるし、逆に編笠山などは日帰りの登山と
して手頃なサイズとなる。また、魅力的な山小屋が多数あるのもこの山域の
特徴であるといえる。
山は本格的であるだけが能ではない。要するに、八ヶ岳は、サイズが小さい
分肩肘はらずにいろいろな楽しみ方ができる山だと、そういうことなのだろう
と思った。

後拾遺6.岩手山


次があるか、次がないか。それは無意識のうちに意識の中にあるものである。
日本は縦に長く、道路は気違いじみて高額である。自宅からはちょっとやそっ
との覚悟ではいけない山がある。岩手山は、「次がない」方の山だろうと覚
悟してでかけた。だが、この山に「次」があったのだ。

はじめてでかけた年は、神がかって山へ行った時期だった。高速道路の500
キロなどものともせずにでかけていって、紅葉の山をいい気分で登った。南
部片富士は実にかっこいい山だなあ、と思った。しかし、いい気分もそこま
でだった。そのまま熱を出してしまい、往復1500キロを運転して日帰り、
ということになってしまった。

もちろん、それで登頂は果たしたわけなのであるが、その後、いつまでも神
がかってはいない。あの遠くまで運転していくこともできなくなったし、家
族を持って何日も家をあけるわけにもいかなくなった。岩手山は思い出の中
に生きる山であったのである。

それが、ある年の暮れ近くになって、きっかけが巡ってきた。その日は別の
山を予定していたのだが、どうも天気に恵まれずキャンセル。別の山にしよ
うということになったのだが、行き先はどこでもいいよ、と言った。そこで
あがってきたのが岩手山だったのである。おいおいそんなに遠くまでいくの
かい、と思ったのだが、行き先はどこでもいいと言った以上むげに断るわけ
にもいかない。無理を承知で車を駆った。

そして、再び紅葉の山をいい気分で登った。


やはりかっこいい山だった。あんな山は、日本にいくつもあるものではない。
あんな山が身近にある盛岡の人間が、少し羨ましかった。


岩手山にはいいところに避難小屋がある。あれに泊まってみたい。1人で行
くほどの気合も財布もないが、もしかしたらこの山にはまたチャンスがある
のではないか、という気がしてならない。

後拾遺7.八幡平

遠方まででかけるからには、やはり山は一山一山大切に登りたい。
2度目がない山だとしたら、なおのこと大切に登りたいと思う。

八幡平は、とりあえず登っただけ、の山である。車で山頂の最寄
りの見返峠まで車で入って、往復30分で帰ってきた。これでは
八幡平のよさなんか、まったくわからないし、ハンターのそしり
をうけても仕方がない。

このときの記録に、「花名で検索をかけたら、八幡平から秋田駒
縦走、なんていうのが出てきた。悲しかった。一生のスパンで見
れば多分まだチャンスはあると思うけれど、八幡沼くらいまでは
行っておけばよかっただろうか」と書いている。

僕は縦走派を自認している。このような縦走をみつけてしまうと、
この、30分ばかりの山行がひどくつまらないものに見えてし
まった。

だが、神は見捨てなかった。この山に2度目があったのである。
ある年に岩手山に登りにいくことになった。日帰りではキツいの
でどこか泊まるところはないものかと探した結果、見返峠から30
分のところにある八幡平の避難小屋がいいじゃないか、というこ
とになった。岩手山を登って、藤七温泉に入っていい気分になっ
たところで、八幡平の避難小屋に泊まって土鍋を堪能した。

山としては、前回の30分に、ちょこっと10分ばかりの枝道を
歩いただけである。八幡平から秋田駒という縦走を経験すること
はできなかった。だけど、神様はその分、八幡沼の絶好の朝焼け
の写真を残してくれた。八幡平は、僕は見返峠の周辺をチョロチョ
ロと歩いただけだけど、山の中で一泊して、好機にあたらなけれ
ば見られない景色を堪能することができた。ビッグな縦走もまた
山だけど、平凡な山行の中にもかえがたい経験をすることができ
たと思っている。

もうこの山に次はないかもしれない。だけど、この山はたいして
歩いてないにもかかわらず、思い出に残った山として生きつづけ
ることだろう。

後拾遺8.祖母山

僕はそうとうにインターネットの黎明期からウェブサイトを持っている。いまでは考えられないことだが、誰がどんな記録を書いたか、わかるくらいネットの世界が狭かった時代があった。僕が1度目に祖母山に登ったのは、九州の長期旅行で、百名山をまとめて登ったときだった。その中で、総括として、「ここだけは登っておきたい山は久住。祖母はまあたいしたことがない」みたいなことを書いたのですが、これが祖母山九合目小屋の小屋番にみつかった。祖母は最短ルートの北谷から雨の日にほとんど走るようにして往復したのだが、それが逆鱗に触れたらしくてお叱りのメールを頂いた。尾平から登ればまったく印象は違う、というようなことを言われたのである。それで、いつか、いつか改めて祖母山へ登ってやろうと思っていた。だけど、九州のことである。そう簡単にチャンスはこない。次がめぐってきたのは、13年もたったある年だったのである。道の駅に車中泊していたのであるが、別の祖母山を見るのが、あまりに楽しみで、夜中に尾平まで走って、明るくなるのをまちきれずにヘッドライトで山中へ入った。だが、尾根コースで道をロスト。どうしても道がみつからないので林道コースへいったのだが、それも道をロストして、明るくなるのを待つという失態をしてしまいましたが、無事3時間と少々後には2度目の山頂にたどりついた。今度は快晴の山頂で展望は一級だったが、残念だが、改めて祖母山は丹沢級で、あの地方にあるには貴重な山だけれども、全国区として関東から九州まででかけるに値するかといわれると、ちょっとネ…という山だと感じた。
その祖母山であるが、傾山へのビッグな縦走路がある。もし、次があるとすれば、こいつを歩いてみたい。だけれども、多分そのチャンスは一生やってこないだろう。今回は、多分人生最後の九州行きだと感じた。山との触れ合い方はいろいろあって、最短ルート8割、大きな縦走2割、だろうと思っている。すべての山で最高の縦走をする必要もないし、それはできない相談だ。僕は祖母では最短ルートと2番目のルートを経験した。それでいいと思う。ビッグなルートを経験した人には喝采を送って、僕はこの往復登山で満足しようと思った。

後拾遺9.苗場山

僕はスキーをやっている時期もあったので、苗場山、というのは、苗場スキー場の山頂あたりだろうと思っていた。だが、実は苗場山というのは全然違う場所にある、というのは後になって知ったことである。この山に、はじめて登ったのはまだ山をはじめて間もないころであった。だが、このときの印象はあまりよくなかったようである。というのは、このときの山行記に、まったく文章を書いていないのである。もう古い記憶をたぐっての話なので、まったく文章を書いていないということは、文章を書くに値しない山だと感じていたのだろう、と推察される。ただ、山頂が小屋の裏手にあって、そこからの展望で小屋が写っている写真が貼ってあって、それに対してため息を書いたのが記録として残っている。よほど残念な思いをしたのだろう。
次に苗場山にきたのは、その4年後。たぶんほとぼりもさめて、印象が悪かったのも忘れた頃だったのでしょう。なにやら紅葉がすばらしいという情報を仕入れて、改めていってみたのだが、このときは今年1番の快晴でした。草紅葉には若干早かったのですが、一面に湿原が広がります。 大キレットみたいな山は海外でもあるだろうけど、こういう山は日本 にしかないことでしょう。膨大な広さの一面の原の中を、木道伝いに テクテクと歩きます。最高点は残念ながら小屋の裏のゴミ捨て場みた いなところで感動がありませんが、一旦戻って湿原のど真ん中の木組みの上で昼食、もとい朝食にします。と書いています。
そして、この山には3度目がありました。いつかいってやろうと思っていた小松原湿原に、苗場山もいくのならおつきあいしてもいい、という人がいたので、苗場山も踏むことになりました。解析雨量をにらめっこしながら行くか帰るかの決断でしたが、なんとか晴天をつかまえます。苗場山は普通だったのですが、この小松原湿原までのルートが絶品でした。いかにも歩かれていない感じがして、高山植物だらけで花を踏まないと先へ進めないというトンデモなルートだったのです。残念ながら道標などもあまり整備されておらず、人には安易におすすめできないのですが、これで苗場山の印象は一変しました。イイ。土日に2人きりで湿原巡りです。これはさすがにありえない。
行くたびに印象の変わる苗場山。いまのところ絶品だった、の印象を持っているが、次があるかどうかはわからない。だけど、できることなら次もいい印象をひきあてたい。そのためには、多分に研究して、今度は花の時期か紅葉の時期かをつかまえないといけないな、と思っている。そう考えると、何故かいつどうやっていいのか、悩む山の1つなのだと思った。

後拾遺10.黒岳

遠い山はいろいろあるが、僕にとって黒岳ほど遠い山はない。確かにアルプスでは最奥の 山ではあるが、それ以上に僕には遠い山だった。

槍から剱岳へ向かって縦走した年があったが、このときはいずれ読売新道を下るつもりで黒岳を踏まずに通過した。しかし、この年が人生最後の健常者の年になった。
1年ほど寝て起きてを繰り返し、夏がやってきた。僕は山をはじめるのが遅かった。もう1シーズンたりとも無駄にはできない。そう思ったら、 いてもたってもいられずに荷物を詰めていた。縦走する体力はない。どこかしら登れるところ、と思って選んだのが去年のぼり残した黒岳 だった。
春先には車の運転も許可されていたが、この半年で登った山は大菩薩嶺と雲取と三つ峠。 到底勝算なんかなかった。案の定初日から予定の幕営地までいけず手前で幕。アタックの 日は三俣山荘から空身で行ったのに岩苔乗越で力尽き、あの1時間を何度も座り込みなが ら山頂に立った。帰りは源流から登ることもできず、ビバークも覚悟だった。遠かった。あん なに遠いと思わなかった。

うちからアルプスはそんなに遠い場所ではない。ぐるぐる回っているうちに、いずれは再び訪 れる機会もあるだろうと思っていた。だが、その「再び」は今のところない。

1度目のチャンスは、槍の方から針ノ木の方へ縦走するので三俣山 荘にテントを張ったときだった。もう、晴れがやってくるはずだった。黒岳の山頂にも立つはずだった。 だが、夜通し大雨で朝もだだ降り。もう、乾いた装備なんか何もない。順当にいけば停滞する ところだが、残った薬の数に余裕がなかったのでつっこんだ。黒岳はおろか、水晶小屋もどこ にあるかわからん位の大雨になった。烏帽子までいくつもりだったが、命の危険を感じて野口 五郎の小屋へ逃げ込んだ。目の前まで行きながら、黒岳を踏むことはなかった。

次のチャンスは、雲ノ平の縦走をするときだった。このときも三俣山荘にテントを張って、次の 日岩苔乗越までやってきた。だが、このときも天気が思わしくなく、黒岳はパスすることにした。 高天原までやってくると、真っ青な空の上に黒岳は聳えていた。ほんの1時間か2時間、出発 が遅ければ黒岳まで行っていたことだろう。
薬師岳から黒部五郎をこえて三俣蓮華へやってきたときに、雲の平をもう1周できるだけの食 料がザックに入っていた。もう1周すれば勿論黒岳は踏める。だが、登山計画書に書かなかっ たルートを取るのは避けた。このときもまた黒岳を踏むことはなかった。

黒岳との縁は、それっきりである。

もう1度と願ってやまないが、多くのチャンスを逃してきたはるか深山。果たして次があるのだろうか。

後拾遺11.大峰山

そこに立って、長い稜線を眺めていた。そこには、 奥駈という長大な縦走路がついている。

いま、行者還トンネルから登ってきたわけだが、 僕が登りたかったのはここではなかった。

大峰山に登るのは、これが2度目になる。1度目の ときはとりあえず、と思って行者還トンネルから最 短ルートで登った。そのときから、次は縦走、と思っ ていた。

だが、1度目の大峰から11年たって、いまだ縦走 のチャンスは訪れない。別口で大峰を縦走した友人 は、もったいないね、と忠告してくれた。だが、11 年縦走のチャンスは訪れてはくれていない。ここら で、暫定最短ルート往復でも、という気持ちになった。

今週、幸運にも神様は、関東雨、東北は初心者連れ では残雪で行かれず必然的に西、というシチュエー ションをあててくれた。1日だけだけど、とにかく 大峰に登るチャンスを与えてくれたわけだ。

冒頭で大峰に登った、と書いたが、膨大な大峰山の、 いちばんピーク八経ヶ岳に最短ルートから登っただ けにすぎない。それをして、本当に大峰に登ったと 言えるかは自信がない。ただ、あの場所までいって、 1日、梅雨時にまあまあいい天気にもめぐまれて、 いい時間をすごすことができた。それだけは自信を 持っていえると思う。

大峰はまた次がある山だと思う。いずれは縦走とい う思いが消えたわけではない。きっと、それにはま だだいぶ時間がかかるだろうと思う。そのときまで、 2度の往復登山を胸に抱いて生きることになる。


後拾遺12.悪沢岳

南アルプス南部の、一番奥深い山に、僕は7回も登っている。だがしかし、この山には1度たりとも、実荷で登ってはいない。要するに、7回とも縦走なのである。それも、すべて最低1週間の縦走ばかりである。
1度目の縦走は記憶に残っている。いまはなき三伏沢にテントを張った翌日であった。薄暗くさびしい雰囲気の三伏沢から、朝食をパスしての早立ち。烏帽子岳の山頂でいい気分で朝日を見た、ところまではよかった。だが、ここから別のパーティと同行したのがよくなかった。この山行行動食を十分に持っていなかったので食事だけが頼りだったのだが、高山裏で朝食、と思っていたところをスルーされたので、その後の700mの登り大斜面で息切れして、死にそうな思いで登ったのをよく覚えている。あれ以来、大斜面は南アの鬼門として、いつも覚悟を決めて挑んでいるが、実際には南アにはあの程度の登りは実はゴロゴロしているのだということに気づいていないのは本人だけなのかもしれない。 今の中岳の小屋番は昔小河内の避難小屋にいたのだが、小河内の避難小屋の頃からのおつきあいで、行けば「やあきたね」なんて言ってもらえる間柄になった。
普通の人は遠方から、槍を探すものであるが、僕は南アルプスをさがす。なかでも悪沢岳は、円錐形のかっこいい山だと思う。
僕はこの山に、一生を捧げようとおもっている。通えるうちはもう1度通いたいと思っている。
だがしかし、もう40も近くなった。体力的にも不安が見え始め、あと何度いけるか、という状況になってきたと思う。
悪沢岳は南アルプスでいちばん遠い山の1つ。この山も、僕にとってだんだんと遠い山になりつつあるのかもしれない。

(2015.5.7 11:59)(by script)




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